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zoom RSS 一歩の距離

<<   作成日時 : 2007/10/23 02:59   >>

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日曜日のNHKスペシャルを見て、全くやりきれなかった。

学徒出陣で特攻のための飛行兵にされた若者の中で、航空機の故障などで特攻攻撃に参加できなかった者は、戦時中の日本でどう扱われたかという話であった。

陸軍の場合の、特攻攻撃への参加は志願制であったという。

城山三郎氏の小説によれば、予科練においても参加するか、しないかは志願制で、
特攻へ行くか、行かないかを分けたものは、「志願するものは一歩前に出ろ。」との命令に応じるか、応じないかの
「一歩の距離」
であったという。

かつて司馬先生は、丸山才一氏に

「司馬さんは昭和が書けませんね。」
と言われたそうである。

また、ある人に
「ノモンハンのことを書いてください。」
と言われた司馬先生が

「私には書けない。
 もし、書いたら死んでしまうよ。」

と言っていたことを思い出した。

司馬先生は、太平洋戦争を起こした日本軍、もっと具体的に言えば

参謀 あるいは 参謀本部
を憎みきっていた。

かれらは、陸軍大学校での最優秀生である。

しかし、戦術家あるいは作戦家としては無能であった。

司馬先生は言う

「もし、作戦の専門家であるならば、兵士がはじめから生還を望めないなどという作戦した立てなければならないとしたら、恥じて死を選ぶのではないか。」

このドキュメントを見て、改めてそう思った。

半藤氏が著した満州での関東軍高官の卑怯な振る舞いを持ち出すまでも無い。
昭和の日本軍組織は初めからダメだったのである。

だが一方で、こういった社会をつくったのは、国民自身であったとも司馬先生は言われている。

東条英機は、ヒトラーではなかった。
(保阪正康氏著の「東条英機と天皇の時代」から読み取れる彼は、もし技術者であれば、とても良い仕事をしたのではないか、と思えたりもするのである。)

統帥権というチェックバランスの効かない権力を有するという欠陥を内包した法体系の中で
日露戦争に辛くも勝った日本において、正確な情報を知らない国民行動がこういった社会を作っていったのだと司馬先生は言う。

この記事には、特に結語は書かない。

本当に沢山の尊い犠牲の上に成り立った
今の日本の平和と繁栄が末永く続くように

渾身の努力をしたいと思う。




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