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<<   作成日時 : 2008/01/23 00:36   >>

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以前、将棋棋士の羽生善治氏があるインタビューで

「将棋のことをあまり考え続けていると、そのことだけを考える世界に行ってしまいそうで怖くなることがある。」
と答えていた。

人間が、ある一点のことのみを考え続けることは、そのことが苦痛かどうかは別として生命の危険に瀕することもあるらしい。

数学者の藤原正彦氏も、若いころにある問題を考え続け、考え続けて約半年たった時点で「生命の危険を感じ」、ついにその問題から撤退した経験を語っている。

数学の研究は、美しい花を求めて苦しい登山をつづけていくことによく喩えられる。

あることに思考を集中することは、自分の精神に対して継続的に緊張を強いることに他ならず、非常に体力を消耗する。数学者は30才代までに論文が出せなければだめだ、といわれるのはこの体力的限界のためである。

アイザック・ニユートンがピリンキピアを書き終えて、燃え尽きたことは有名である。最近では、ポアンカレ予想を解いたロシアの数学者グリゴリー・ペレルマンが、フィールズ賞も辞退し世から隠れてしまったことが話題になっている。

ところで思考する姿勢としては、二つの状態があるようだ。

ひとつは、これまでの例のように、脳の中でも知性の座である新しい皮質、特に前頭葉を使って必死に考える状態である。オーギュスト・ロダンの「考える人」がその形を見事に現している。
もうひとつは、国宝第一号の広隆寺に居られる弥勒菩薩像のように脳全体(古い皮質、脳幹を含めて)で考える、まろやかな調和した思考活動をする状態である。

考えるという行動には、こういった2つの状態があるのだが、現代においてはもっぱら「考える人」型の思考が強要される場面が多い。

原始仏教に
「おのれこそおのれのよるべ、おのれを措きてだれによるべぞ、よく調いしおのれにこそ、まこと得がたきよるべぞを得ん。」
という言葉があるそうである。

「どうすれば心の平安が保てるか?だれに学べば健全な心身が維持できるか?」
の答えは、どこでもない。
実は、「はじめから自分の中にその秩序があるのだ、だから自分をよく調えればだれに頼ることなく健全な心身を保てるのだ」という意味だそうである。(人間のホメオスターシスに通じる)

この驚くべき創見は、弥勒菩薩のような考え方で発見されたと思われる。つまり、新しい皮質、つまり人間だけがもつ脳では発見できなかったのではないか、と思うのである。

人は、考えることをもって、とりあえず地球の生命の連鎖の中から抜け出し、その頂点に立っている。

生活していくおのおのの局面において、どちらの考える状態をとるのかも、やはり考えていかなければならない。

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