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<<   作成日時 : 2007/10/06 11:59   >>

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城山三郎氏の小説「大義の末」では、太平洋戦争で軍の中で読まれてた「大義」と戦争が終わった後の「大義の末」について書かれている。その中で「大義の末は衝動的な抜け殻だ。」と言っている。

司馬先生の「関が原」の中で、敗れた石田三成が雨の中敗走しながら、春秋時代に義を説いた「孟子は間違っている・・」と言わしめている。世の中は正義という原理では動いていない。仮に動いていたとしても、それは歪んだ世の中の姿なのだろう。

正義あるいはイデオロギーは、人類が作った巨大な虚構であると司馬先生は言う。大乗仏教の思想から言えば、真理として「何が正義なのか?」という定義が不可能だからであろう。

世の中は、人の利で動いている。いわば経済の原理が世の中を動かしているのであろう。

しかし、司馬先生は同じ「関が原」の中で黒田如水に、こうも言わせているのだ。「あの男(石田三成)は成功した。豊臣政権のほろびにあたって三成などの寵臣までもが家康のもとに走って媚を売ったとなれば、世の姿はくずれ、人はけじめをうしなう。」

正義は、世を動かす原理にはならないが、忘れてはならないものなのだろう。世の中で最も重要なことは、理論的に説明はできない。たとえば、人はなぜ花を美しいと思うか、を理論的には説明できない。一昔前に「なぜ人を殺してはいけないのか。」と若者が発言し、いい大人の文化人達が浮き足立ったようなことがあったが、「いけないものはいけないのだ。」という主張を堂々としてる人は当時いなかったように思う。

自分の正義を確立することは、自己を確立することなのだろう。

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