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zoom RSS 国家を背負うこと

<<   作成日時 : 2007/10/09 06:23   >>

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もう新しい話題ではないが、安倍前首相の突然の退陣劇に驚いたり、あきれたりした騒動があった。いろいろ事情があったにしろ、国の最高指導者としての資質が欠けていた、という批判はどうしても免れないであろう。

「国家は生身の人間が背負うには重すぎる。」というのは、城山三郎氏の小説「官僚たちの夏」中で、戦時中に時の首相の意向に逆らって自殺的な最期を遂げた先輩官僚の墓参りの帰りにキャリア官僚が、ふと言った言葉である。

「国家は生身の人間が背負うには重すぎる。」 
この言葉を思うとき、日露戦争での児玉源太郎と秋山真之のことをいつも思い出すのである。
児玉は、奉天会戦で勝利した後、役目を終えたように世を去り、
秋山は日本海会戦での奇跡的圧勝の後には抜け殻のように人生を過ごした。

この戦いに敗れた場合、日本の半分、少なくとも北海道はロシア領になる。もし、そうなったら当然のことながら、現在の日本の形はとどめていない、ということを当時の人たちは十分認識していた。

まさに、その人でなければ遂行できないそれほどの任務を課せられた、この2人の天才への精神的重圧と苦痛(当然、過労で倒れることも自殺して逃げることも許されない)は、いかばかりであったか、と思うのである。

現代では、こういった状況は考えにくいが、国家を背負う任務の重さに変わりは無いだろう。今の首相や閣僚といった国を背負う人たちは、認識しているのだろうか。認識しているというのであれば、不用意な発言やモラルリーダーとしての資質を疑う行動が繰り返されるのは、認識しているが真剣に取り組んでいないということなのか、と思うのである。

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