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zoom RSS 幸福であること

<<   作成日時 : 2007/10/11 00:38   >>

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「幸福というのは、到達点ではない。その過程である。」
とある本で読んだことがある。

経済学の「限界効用逓減の法則」を持ち出すまでも無く、
「幸福だ。」
と感じるのはある瞬間である。
永続性はない。

かつて、人生にはある単純な真実があり、人の世の価値観はそれで決まるのではないか、と思ったことがある。

最近、齢40半ばを過ぎて、それは
「人間の一生は有限である。」
という単純な事実ではないかと思うようになった。

医療問題を扱ったコミック「ブラックジャックによろしく」のなかで「ガン病棟編」がある。
その中で、現時点では外科的に転移ガンをとりきれなかった場合、その後の化学療法は限界があることが紹介されている。
ガンは、人間が行き続けていれば必ず発生するものだそうだ。
他の病気での死亡者がいるのは、ただガンになる前にその病気が死因になっているだけだという。
その中で医師が言う。

「人間はいつか死にます。あなたも、わたしも、ここに居る全員。」

言ってみれば、生きているということは、全て「延命」行為なのだ。


「もし、人間が永遠に行き続けられれば、この世の苦しみのほとんどは解消される。」
という「永遠の相の下で]の話は分かるような気がする。

だが、一方、人の持ち時間は有限であるから輝きうるのだとも思えるのである。
人間は、虚空から来て、虚空へ帰っていく。

高杉晋作は、作った詩の中で

「この世の値」は「まあ、3銭か。」
と言ったという。
人間金持ちでも、貧乏人でも、英雄でも、凡人でも世を生きていると、良いことと悪いことがあって、それを差し引けば
「まあ、3銭の得以上ではない。」
という意味である。

であれば、人は今の一瞬に賭けるべきかと思う。

江藤新平は

「男子はすべからく巌頭に悍馬を立てるべきだ」
と言った。
江藤はこの言葉が生涯好きであった。
男子たる者は気の荒い馬に乗り、それを進めて巌頭に立たねばならぬという。
断崖がらこれげおちるか、大きく飛躍するか、そのどちらかを賭けるべきだというのである

また、吉田松陰は安政の大獄で斬首されるまえに

「どんな人間にも、8歳で世を去るものも80歳まで生きるものにも、春・夏・秋・冬がある。どう生きたかは、その長さではない。」
と言ったと聞く。

瞬間を真剣に生きられる人間になれるよう、努力したい。

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