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zoom RSS 人の成り立ちについて

<<   作成日時 : 2007/10/20 15:00   >>

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「人というのは、人間関係で成り立っている。もし、人から人間関係を取り除けば、内臓と骨格を持った存在にすぎない。」

と司馬先生は、著作の中で述べている。

たとえば、「覇王の家」の中で武田勝頼が高天神城を配下の将卒とともに見捨てたとき、「大将としては、決してしてはならぬことをした。所詮は大将にはなれぬ。これで四郎殿も終わりである。」と徳川家康に言わしめている。

歴史の中で、時の権力者がこの原理を忘れたとき、滅亡していく例がいくつもある。

また、
「他人に勝つことは、その人の名誉を奪うことだ。」
ということも忘れがちである。
最近は、どんな場合でも、正々堂々、米国流の論争により勝敗を決するのが合理的であるかのような風潮が見受けられる。
この理屈は、たとえば政策論争や技術論争といったきわめて重要な結論を導く場では正当な場合が多いが、日常的には合理的でない。

数学者の藤原正彦氏は、米国に留学した後、日本の大学において「常に論理的に相手を論破する」ことを続け、かつ正しいと信じていた時期があることを著作の中で述べている。しかし、その後イギリス ケンブリッジ大学での客員教授などを経た後の著作「国家の品格」などでは、必ずしもそれが正しかったとは言えないとも述べている。

「竜馬がゆく」のなかでの、清川八郎がこの典型として描かれている。
「議論を始めると、相手の肺腑を突くまで論争を止めない」という彼について
「ただひとつ、人に対するいたわりが足りない。百才があるくせに・・」
と評論している。

ところで、「北斗の人」の中で、千葉周作が使ったといわれる
「舌刀」(ぜっとう)
の話が出てくる。
彼は、北辰一刀流を天下に広めるという目的のために、全国津々浦々の他流儀を打ち破っていく必要があった。

当然恨みを買う。

これに対して、試合の後
「私は、広く天下で試合をしてきたが、今回ほどの流儀に出会ったことがなかった。」
などと言うのである。これによって、相手は気持ちを和らがせその後の無用な摩擦を避けた。
これを
「舌刀」
と呼んだのである。

前述の「竜馬がゆく」の中で、三菱の創始者である同郷の岩崎弥太郎は
「俺は、発想や考え方は竜馬に劣るとは思わん。ただ、人に対する優しさが及ばないようだ。」
という意味のことを述べている。

坂本竜馬と岩崎弥太郎への歴史上の評価を分けたのは、この点だけだったのかもしれない。

現代では、通信技術の発達などでこういった人間関係の重要性について、洞察する機会が失われている。
きちんと挨拶ができない。きちんと礼状が書けない。相手をいたわれない。などなど
こういったことができないのは、年齢がいくつであっても社会にあっては未熟な「子供」である、という明確な教育をすべきなのであろう。

人間関係を維持することは、言うまでも無く社会を成り立たせる根幹なのである。


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