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zoom RSS 将器について

<<   作成日時 : 2007/11/03 09:48   >>

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司馬先生の小説の中では、何人もの歴史上の人物像を通して人の上に立つ人の条件が語られている。

「燃えよ剣」の中で、土方歳三が近藤勇について

「この人に将器がある。」
と思い、近藤を局長に押し立てて新撰組という強靭な組織を作った。
土方は、組織の中での嫌な役回りは全て自分が引き受け、近藤の口からは常に寛容な言葉が出るようにした。
土方は、
「将器とは何か」
を知っていたと思うが、近藤にはついにそれに答えきる能力がなかったらしく、最後には流山で袂を分かつことになる。

司馬遼太郎先生の小説の中で
将器について最も端的に語らえているのは
「項羽と劉邦」
であろう。
この中では、「項羽」と「劉邦」という二人の人物を通して、2つの典型的なリーダー像が描かれている。

ある日、劉邦が軍事的天才であった韓信にむかって聞く
「君は、何人の兵を指揮することができるか?」
韓信は答える
「100万でも、多ければ多いほどよい。」
更に劉邦が問う。
「では、私ではどうか?」

「陛下では、10万がよいところでしょう。」
この韓信の答えに劉邦は笑い出し、

「では、なぜお前は私に仕えているのか?」

これに対して韓信が答えた。
「陛下は、兵に将たるお方ではありません。将に将たる方ですから、私は仕えております。」

司馬先生のいう究極のリーダーとは

つまりは、
「虚空」
のようなもので、自分というものを無にして有能な者からの意見や行動を集約できる者のことであるらしい。
したがって、実務には有能でなくてよい。
多くの人をひきつけ、その中から意見や人を選別できる能力だけが必要なのである。

この「将器」の要件は
「義経」の源頼朝
「覇王の家」の徳川家康
「新史太閤記」「播磨灘物語」の豊臣秀吉
「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」の西郷隆盛
「坂の上の雲」の大山巌

などの人物には、共通して備わっているものとして描かれている。

この「将器」といえる
「自分を捨てきって人の意見を聞き、物事をまとめる」能力
を持つことは、並大抵のことではできない。

「竜馬がゆく」の中で坂本竜馬が若いころ、道を歩きながらでも
「歩いている途中で上から大きな岩が落ちてきたとして、そのまま平然と受け止めるられるようになる。」
という鍛錬をしていたそうである。(ずいぶん変な訓練方法ではあるが・・)

翻って、現代の私達であるが、
司馬先生のエッセイ「四十の関所」
に書かれているように、社員が40歳ぐらいになると会社は平然と
「管理職」
というものにしてしまう。
この「管理職」こそ、「将器」が必要なポジションなのであるが、そんなものが備わっている人がごろごろ居るわけはなく、最近の会社内での人間関係にトラブルがよく起きるのは、こんなことが原因のひとつなのかもしれない。

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