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zoom RSS 剣の使い手

<<   作成日時 : 2007/11/17 17:37   >>

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司馬先生の作品の中には剣の使い手が数多く出てくる。

「燃えよ剣」の中で、新撰組も後期になって組織から脱盟した伊藤甲子太郎を暗殺し、その死体を囮に京都油小路で脱盟組を包囲殲滅しようとした闘争事件があった。

その際に、新撰組の囲みを脱出できずに死んだものは、奇妙なことに、みな一流の使い手であったという。
「剣がひとりで動いてつぎつぎと敵を斃し、死地へ死地へとその持ち主を追い込んでいった。」
と「燃えよ剣」の中の表現にある。

一方、一流の使い手でありながらも、その能力を敵から逃げきることにのみ使い、生き残った者もいた。その代表は桂小五郎である。
彼は、江戸の三大道場のひとつである斎藤弥九郎の練兵館に入門し、神道無念流剣術の免許皆伝者であり、その塾頭も務めた。
しかし、彼の剣の才能は決して人を殺さず、徹底的に逃げることに使われた。
剣の達人でありながら、人を殺すことに剣を使わなかった者としては、北辰一刀流の使い手である坂本竜馬もいる。

剣の使い手たる能力の一つに「見切り」というものがある、と「宮本武蔵」にある。
同じ幅の狭い道は普通であれば通れるが、もし両端が100メートルの高さの絶壁の場合は、そこを通ることは恐ろしくなる。
しかし、同じ幅の道であり、その恐怖心や不安に惑わされないようにするのが兵法の訓練だといい、
この「敵が、これならば自分の手に合うという判断の範囲が、見切りである。」
と司馬先生の「真説宮本武蔵」にある。
「見切るというのは、武蔵独特の術語である。この見切りの術が、武蔵の兵法の特徴というものであった。」

ちなみに、宮本武蔵の開いた「二天一流」は、彼の後続かなかった。この流派の組太刀は、武蔵の異常な体力によってのみ可能であったからである。

先のブログ記事でも述べたが、千葉周作の「北辰一刀流」は、その合理的な教授法により凡人でも剣の名手になれることができるため、幕末期に一世を風靡した。
しかし、剣の精神的な面での最終的到達点は、戦国の末の兵法とかわらず
ついには「相討ち」
であったという。
ある日、ある剣の達人に対決を迫られた剣の素人が周作のもとを訪れ
「何とか、醜くない死に方をしたい。」
と懇願した。
そのとき周作は、北辰一刀流の「夢想剣」の極意をこの素人に適うように教えた。

「目をつぶったまま、丹田に力を入れ剣を大上段に上げておけ。そして、体のどこかが冷やとしたら、その方向へ剣を振り下ろせ。それだけで十分醜くない死に方ができる。」

その結果、その素人と達人の対決は素人の勝ちになった。
達人は「余程できるやつだ。」と恐れをなして逃げたのである。
周作は言う。
「あの素人は、最初から生を捨てていた。だから、剣士が生涯かかって到達しうる境地に一瞬で到達したのだ。」

司馬作品で描かれる使い手で忘れてはならない人がいる。
新撰組の沖田総司である。
かれは、万人に一人という才能をもって世に出た。
「沖田総司房良、十有二歳にして、奥州白河阿部藩指南番と剣を闘わせ、勝ちを制す。」

かれは、日本史上もっとも実践経験のある剣客であったろう。
(宮本武蔵も試合回数は六十数回でしかない。)

私は、司馬作品の中で描かれる剣の使い手の中で全く政治性や欲のなかった沖田総司が一番好きである。







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