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zoom RSS 天才の世紀

<<   作成日時 : 2007/11/18 22:55   >>

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ヨーロッパでルネサンスが起きた、14世紀〜16世紀、特に16世紀は
「天才の世紀」
と呼ばれる。

ガリレオ、ケプラー、コペルニクスという天才達が群がり出た時代だったからである。

その前の中世は、「暗黒」という印象が強く、これはキリスト教的思想に全ての現象を無理やり整合させた結果である。(天動説が典型的な例である。)

この暗黒から抜け出し、明るく合理的な「天才の世紀」を開いたのは
「実証主義」
という考え方である。
すべての現象についての法則は、実際に測定された
「実証データ」
により裏付けられなければならない、という現代では基本的なスタンスである。

しかしながら、現在でもこういった「形而下のものを取り扱うのは高尚でない」という考え方、或いは感じ方は社会に存在している。イデオロギーとそれに基づく「冷戦」がその最たるものであったが、「ソビエト」の崩壊という「実証」により政治の分野では、さすがに鳴りをひそめたようである。
科学技術の分野でも、まず「形而上」の定理なりが考え出され、具体的な法則や相関式などが整然と説明される、というプロセスが美しいとされる。しかしながら、そうなることはほとんど無い。むしろ「形而下」の現象群を試行錯誤してくみ上げ、帰納的に統一的な理論が提唱されるのが普通である。

ところで、中世にしきりと使われた「神学大全」という本は、「法学」の本とよく似ていると思うのは私だけだろうか。神学とは「神は存在する。」ことを論理を尽くして証明する学問のことである。何かを論理的に証明するための学問である法学への転用は必然だと思われる。(こういった歴史的背景があるから欧米人は論争に強いのかもしれない。)

司馬先生は、「空洞な空間の周りを糸でぐるぐる巻きにしていく」のが神学だといわれている。出発点が空洞でも、それを基点とした理論の展開は、まるで壮麗な宮殿を見るようである。しかし、基点が間違っていた場合、その後の論理が堅牢であればあるほど、結論は間違ったものになるのは明らかである。

ここで、大急ぎで付け加えたいのは、私はキリスト教もどの宗教も反社会でなければ、それらを否定するつもりは毛頭ない。もし、基点がそうであれば、という仮定の話をしているのである。

一方、科学技術の場合はそうはいかない。それは、ルネサンス以前の科学の解釈がどうであったかをみれば一目瞭然である。

「実証主義」というのは、自分の考えに捉われずに現実をしっかり見ることである。自分の仮説に都合の悪いデータがでても、都合の良いように解釈せず、謙虚に受け止める姿勢のことだと思っている。ちなみに、欧米の人と技術的な議論をする場合、実証データについて書かれた文献をどれだけ読んでいたかによって勝負が決まってしまうことも多い。

教育の場での「実験」の重要性にとどまらず、今世間を騒がしている偽装問題の撲滅にもつながる姿勢ではないだろうか。

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