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zoom RSS 司馬史観からのエネルギー論(詳細版)

<<   作成日時 : 2007/12/24 05:26   >>

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司馬先生の「街道をゆく」のなかでの「砂鉄のみち」において、司馬史観からの独創的なエネルギー論が述べられています。
(タイトルは、鉄器生産の内容ですが、私はこれは再生可能なエネルギー源である木の存在と歴史との関係について述べたエネルギー論であると解釈しております。)

以下に借文ですが、その内容を抜粋して記します。

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東アジアの製鉄は、ヨーロッパが古代から鉱石によるものだったのに対し、主として砂鉄によった。砂鉄は、花崗岩や石英粗面岩のあるところなら、どこにでもある。

問題はそれを溶かす木炭である。

 「一に粉鉄、二に木山」(「鉄山秘書」)
 というように、古代に比べて熱効率のいい江戸中期の製鉄法でも、砂鉄から千二百貫(一貫=3.75kg)の鉄を得るのに四千貫の木炭をつかった。
四千貫の木炭といえば、ひと山を丸裸にするまで木を伐らねばならない。木炭四千貫といっても、江戸期のやり方ならわずか三昼夜で使ってしまうのである。

 砂鉄というのは、花崗岩の砂礫のなかにわずかに数パーセント含まれているにすぎない。しかし、鉱石とちがってほぼ遍在しているといってよく、である以上、鉄が作られるためにもっとも重要な条件は木炭の補給力である。

樹木が鉄をつくるといってよい。

 さらに、その社会で鉄を持続して生産されるための要件は、樹木の復元力が盛んであったかどうかである。この点、東アジアにおいて最も遅く製鉄法が入った日本地域は、モンスーン地帯であるために樹木の復元力は、朝鮮や北中国にくらべて、卓越している。

古代は、中国や朝鮮も冶金時代が始まるまでは、鬱然たる大森林が豊かに地をおおっていたかと想像する。

 漢民族の文明が興った黄河流域も、おそらく青銅器を作っている程度の時代までは、いまのように樹木のすくない広野ではなかったであろう。

 朝鮮半島も同様、こんにちその風景的と特徴とされる禿山などは、あるいはなかったかもしれない。朝鮮の禿山は冬季のオンドル用の薪を採りすぎたからだといわれてているが、古代朝鮮の金属文化の高さを思うと、かならずしも採暖用の伐採だけが原因でなかったと思えてくる。乾燥した中国内陸部や、鴨緑江流域をのぞく朝鮮は、一旦森林をほろぼすと、容易に復元できないからである。

 この点、梅雨期から夏にかけて高温多湿な日本は、山そのものが多量の水をふくんでいわばスポンジのようになっており、こんにちの強力な土木機械による自然破壊が始まるまでは、日本では禿山にしようとするほうが至難だといわれてきた。

このため上代以来、はるかにのちの石炭を燃料とする溶鉱炉の出現まで、砂鉄によって鉄をつくるのに木炭が不足などということは、国をおしなべていえばまったくなかったといっていい。この意味では明治までの日本の鉄は、日本の豊富な水がそれをつくってきたということが言える。

 明治以前、中国、朝鮮そして日本の鉄の生産量は、それを比較すべき資料があるはずがないが、もし腰だめでいえるとすれば、日本はよほど多量に生産していたに相違ない。

 日本の平安期の中期ごろには、鉄生産がよほど盛んになって、鉄製農具も十分にゆきわたったかと思える。

 律令制のもとでは土地は原則として公有であったにもかかわらず、鉄製農具の普及によってひとびとに開墾や灌漑土木による新田の開発欲をそそったのであろう。その田地を基礎に、武士という、実質的には農場主が成立した。かれらが新田を作ることを競い、ときには武闘によって他人の田を奪おうとしたという風景を思いうかべるとき、もし仮に平安期でもなお木器が農具であったならそういう現象は起こり得なかったにちがいない。

 日本は室町期から戦国期にかけて、農業生産高が飛躍する。農業者一人が、何人もの非農業者-武士、商人、馬借、遊芸人、僧侶-を食わせるだけの余剰分ができた社会といえるであろう。

 さらには、この時代に勃興した商品経済が江戸時代にひきつがれて日本的充実を見、明治の資本主義の導入を容易にするのである。

 これに対し、朝鮮は古代日本に文明をあたえたきらびやかな恩人であったが、しかしいつの時代からか、停滞した。

 7世紀の新羅の統一以降、中国の制度を導入して古のみをよしとする−停滞そのものを文明とする-儒教体制をとり、特に十四世紀末から二十世紀初頭までつづいた李朝は、本場の中国以上に精密な儒教国家をつくりあげた。

 このことは、鉄器の不足と無縁ではない。

鉄器の不足が商品経済をこの国で成立せしめず、農村は原則として自給自足経済を保った。たとえば農家では桶のような商品はつかわず、大きなヒサゴを二つに割って水のみに使った。ごく最近まで朝鮮での手桶というのは、自然物であるヒサゴであった。

 朝鮮人がその能力を十分に反映した社会を近世まで持ちえなかった理由の一つは、鉄器の不足にあるといってよく、同時に鉄器の不足が農業生産力を飛躍させず、旺盛な商業経済を成立させず、せしめかなったからこそ、李朝五百年の儒教国家がゆるがなかったとも言えるかもしれない。

 このことは、中国の長い停滞を考える場合にも、多少は通用するかもしれない。同時に、裏返せば、日本列島に住むわれわれアジア人が、他のアジア人とちがった歴史と、そして時に美質であり、同時に病根であるものを持ってしまったことにもつながっている

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