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<<   作成日時 : 2007/12/06 07:02   >>

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大乗仏教においては、いわゆる

「仏性」
は、あらゆる人に宿っているとしている。

これについて、遥か昔奈良時代から平安時代にかけて異論を唱えた人がいた。

中世、それも初期に当時としてはかなり田舎といってよい会津にいた徳一という人である。

このいわゆる「小乗」と言われた奈良仏教仏相宗の人は
「仏性」
の問題について、激しい論戦を繰り広げた。

相手は、超弩級であった。
最澄と空海である。

小乗仏教においては、「仏性」は限られた人にしか存在しないと考えられている。

特に最澄との一大仏教論争は三一権実諍論(さんいちごんじつそうろん)と呼ばれる有名な論争である。

一方、空海は、当時の奈良仏教勢力との軋轢をさけるためにあえて反論しなかっただけでなく、懐柔しようとしたのではないかと司馬先生の著作にある。(ちなみに反論がなされたのは、この時から実に500年後のことだったようである。)

司馬先生の書かれた「空海の風景」などによると
空海、つまり弘法大師の説かれる真言密教では、華厳の考え方が踏襲されており、人間だけでなく、この世のありとあらゆるものに「仏性」(大日如来と解釈されるらしい)が宿るとしている。塵の中にも、草木にもあらゆるところに存在し、また宇宙全体という単位でも同じであると考える、ということらしい。

現在の科学で考えれば、物理的法則が「仏性」であると考えれば、上記のことは理解しやすい。たしかに、この世の森羅万象はある法則にしたがって動いている。

こう考えていくと、真言密教(或いは華厳)の考え方は、哲学と紙一重である。ただ一点、あらゆるものに宿るとされる大日如来は人間に対して無限の慈悲、暖かさをもっているという点で圧倒的に宗教である、と司馬先生は言う。

それにしても、現代から遥か1200年も前にこういった論争が、京の都と遥か離れた会津の間でなされたという事実に驚きと感動を禁じえない。

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