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<<   作成日時 : 2008/03/15 19:42   >>

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全く納得いかない会社の人事に関して

「サル山の猿」

というタイトルのブログを書こうかと思ったが、あまりに志操が低すぎて司馬先生に申し訳ない気がしたので、この話を書くことにした。

この話は、司馬先生の「生きている出雲王朝」に書かれている内容であるが、先生のエッセイの中でも際立って面白い内容であるので紹介したい。

島根県の地方紙の元旦号には、どの新聞でもあるように全面広告の欄があり、そのひとつに年賀広告として県知事などが年賀挨拶をする面がある。

島根県の場合、
「謹賀新年」
の活字の下にふたりの人の名前が出ているそうである。

ひとりは、当然なことだが島根県知事であり、

それにならんでいるもうひつとの名は、

「国造 千家尊祀」
(上記のエッセイ時、現在は84代 千家尊祐氏)
であるという。

国造(クニノミヤツコ)とは、化石の地方長官というべきもので、そのはじまりは

古事記に
「神武天皇」が、今の奈良県を手中におさめたとき、とある。

千家氏とは、出雲大社を主宰する社家である。

出雲の国は、よく言われるように鉄器文明を背景とした出雲民族により

豊葦原中国(トヨアシハラノナカツクニ)
を制覇することでうち立てられた。

その何代目かの帝王が

大国主命(オオクニヌシノミコト)
である。

そこへ
「高天ヶ原」
から天孫民族(今の大和民族、つまり我々)の使者が押しかけてきて

国を譲れ
ということになったらしい。

神話にいう
国譲り
の話である。

こののち、天孫民族と出雲王朝との協定は

「出雲王は、永久に天孫民族の政治にタッチしない。」
というものであった。

司馬先生が新聞社の文化部にいたころ

「子孫発言」
という連載企画の中で徳川家や有馬家などに続いて出雲国造家の千家の人に原稿を依頼したところ

「わが家は古来、大和民族の政治に触れることができない。」
という理由でいんぎんに断られたことがあり、驚いたと述べておられる。

先の協定が、現代にも生きているのである。

国譲りのあとも、大和王朝による出雲占領統治はうまくいかなかった。

ついに、大国主命に対して

「汝、まさに天日隅宮(あおまのひすみのみや)に住むべし」
という命令を下した。

この天日隅宮が、つまり出雲大社である。
おそらく、大国主命は殺された、という意味であろう、と司馬先生は推察している。

高天ヶ原政権は、進駐軍司令官であった天穂日命(あめのほひのみこと)とその子孫に永久に宮司になることを命じた。

その子孫が、先の千家氏の家系であり、日本最古の家系でかつ、天皇家と同様、史上のいかなる戦乱時代にも、この家系は揺るがなかった。

こういった事実だけでも、はるか昔のロマンを感じるようで興味深いのであるが、
さらに驚くべきことが、まだある。

実は、司馬先生の友人にW氏という人がいるのだが、その人は

カタリベ
だという。

カタリベとは、語部と書き、氏族の旧辞伝説を物語った記憶技師のことである。
(古事記を口述したという稗田阿礼は歴史の教科書に載っている。)

W氏の家は、国造である千家の主催する出雲大社の社家のひとつであり、語りの中には
「古事記」にも「出雲風土記」にも書かれていない重要な事項がある、という。
古い社家はたいてい神別の家であり、家系は神代から続いている。

さらに、
「あなたのご先祖は、なんという名のミコトですか?」
という司馬先生の問いに対する

「大国主命です。」
という答えにひどく驚いた、書かれている。

なぜならば、大国主命とその血族はすでに神代の時代に出雲から一掃されて絶えているはずだからである。
これについては、

「ある事情により、ただ1系統だけのこった。私の先祖の神がそうです。」
とW氏は言うのである。
さらに
「出雲は簒奪されているのです。」
と重ねて言う。

つまり、高天ヶ原からきた天穂日命の子孫がいまの出雲を形而上的に支配しているのが
「簒奪」
ということになる、とW氏は言うのである。

神代以来、出雲大社に奉斎する社家のうちで、大国主命系、つまり出雲の国ツ神系の社家はW家一軒のみという事実と、今も代々語部としてその歴史的内容が口伝で語り継がれている、ということが驚きとともに述べられている。

こういった神韻縹渺たる話を読んでいると、会社の人事などというわれわれ俗間天孫族(?)の些事などは忘れられる気がするのである。


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
スサノオがアマテラスに天叢雲剣を渡したのは、出雲が大和へ鉄器を供給したという、考古学的な見地と対応するのではと思います。しかし出雲神にはスサノオとオオクニヌシという2人の大物の神様がいるのかというのは、弥生後期の出雲の状況を見ればわかります。島根県安来市を中心とする東部出雲王朝(スサノオ)と島根県出雲市を中心とする西部出雲王朝(オオクニヌシ)があったのです。東部出雲王朝は早期に発達し、長きに渡って繁栄しヤマトへの鉄器供給を行った。西部出雲王朝は東部の分家として発達したが、東部よりも発展しやがて、北陸あたりまでの日本海沿岸に渡る大国家を作りました。それで大国主といわれます。しかし、それより少し遅れて大和が発展し、西部王朝は短命に終わり、これが国譲りに対応します。一方、大和から見ても東部王朝は本宗家だったので、スサノオとアマテラスは兄弟と言う設定になっていますが、この事情のため滅ぼさなかったと考えられ、この子孫が蘇我氏のような大豪族になって行くと思われます。
たたら
2009/09/10 20:56
安来と蘇我氏が直接つながっていたかは疑問が残るが出雲神族の原点の地だといえるだろう。司馬遼太郎の「生きている出雲王朝」にもでていたクナト(来名度)大神が唯一祀られている神社が安来にある。
鋼s-magic
2009/12/30 19:37
 そういえば機械の語源であるカラクリという名の嘉羅久利神社も当地にあることだし、バイク仲間ではここを聖地と呼んでいる。
油鋼は一蓮托生
2016/02/02 01:04

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