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<<   作成日時 : 2008/04/05 11:07   >>

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(家のそばで満開の桜です。陽気な春ですが、いろいろあって気が晴れません。。)

私は「節義」という言葉が好きである。

司馬先生の著作の中で「節義」がテーマになっている作品は
なんといっても

燃えよ剣
であろう。

新選組副長 土方歳三 が主人公である。

新選組は、幕末期に時勢に激しく抵抗した。

無論、もし新選組が守ろうとした徳川幕府と封建体制が、そのまま存続していたら日本は欧米の植民地になっていたであろう。

また、少し目端の利く人間であれば、桜田門外にて井伊直弼が暗殺されて以降、幕府の余命は短いことは明らかであった。

(ちなみに、反幕派は
「天誅」
と称して無数のテロ行為を行ったが、時勢に対して影響があったのは、
この桜田門外の変
だけだったといわれている。)

京都守護職
を命じられた会津藩ですら、
「藩が滅亡する」
と幕命を拒み続け、ついに受けざる終えなかったとき

「君臣,相擁し、声を放って哭けり。」
という状況になったと、会津藩に古記録あることが
「王城の護衛者」
の中で司馬先生は述べられている。

新選組は、この会津藩のお預かり機関として、京の治安維持に当たった。

治安維持の方法は、反幕府勢力の浪士達を斬りまくることであった。
新選組の強さは、個々人の剣技だけでなく、その組織力にあったといわれている。

戦闘の方法は、常に3人で1人を包囲することである。
たとえ、宮本武蔵や千葉周作でも3方向からの一斉の斬りこみにはお手上げであるためで、
この方法は、元禄期の赤穂浪士の討ち入りでの戦法を参考に近藤勇と土方が作り上げたといわれる。

さらに、土方が独創で作り上げた組織体制が近代軍制のように機能的であったこと、
最後に組織を維持するために峻烈な隊法があったことが新選組の強さを歴史に残した。

しかしながら、徳川慶喜が大政を朝廷に奉還した後、新選組は動揺した。
(もう負ける。)
と皆思ったのである。

特に動揺している近藤勇に、土方は言う。
「われわれは、節義、ということだけでいこう。時勢とか、天朝、薩長がどうのというと話が妙になる。」

そして、病床の沖田総司に言う。
「おれはね、世の中がどうなろうとも、たとえば幕軍がぜんぶ敗れ、降伏して、最後の1人になろうとも、やるぜ。」
「こんにちにいたるまで、新選組の組織を守るためと称して幾多の同志を斬ってきた。そのおれがここでぐらついては、地下でやつらに合わせる顔があるか。」

さらに言う。
「男の一生というものは」
「美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている。」

いい格好をする、という意味ではない。
たとえ、地にはいつくばってでも美しさは作れるものだ。

土方歳三は、司馬遷のいう
「烈丈夫」
であると司馬先生の友人の作家 陳舜臣氏はいう。

烈丈夫に非ずんば、たれがよくこれを致さんや。

わたし自身も、このように生きれないものかと考えている。


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