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zoom RSS 「やめる」という選択

<<   作成日時 : 2008/06/08 08:46   >>

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(紀伊半島の橋杭岩の写真です。天気悪いですが・・)

政治過程における本質的な要件は
「政治的には全国民が平等である。」
ということと
「現実の政治過程は、長期的にはそれを実現する。」
ことだという。

市場メカニズムと民主主義の政治メカニズムは、よく似ている。
実際、市場メカニズムは一種の投票と考えることができる。

たとえば、
「都心部にはどんな店舗がのぞましいか」
という決定をするのに、市場メカニズムでは
消費者の支出額で決めている。

これは、投票と同じようなものだ。

しかしながら、両者の決定的な違いは、票の分配である。

民主主義的投票では、1人に与えれるのは一票であるが、市場では票は個人の経済力に比例する。

従って、市場メカニズムの結果を是正する政治においては
「全国民が平等」
という条件は、本質的に重要なこととなる。

経済学者の野口悠紀夫先生は、このように述べ、
日本では、この二つの命題のどちらも実現できておらず、

よって、日本人は政治に無気力になっている、としている。
(そもそも、議員定数と有権者数の比率の歪みが合憲とされてしまっている。)

さらに、最重要な課題を扱えない日本の政治の端的な例として
第2次世界大戦において
「日本はなぜもっと早く降伏できなかったのか」
という事実を挙げている。
(もし、3月にやめていれば、大局的な日本の進路は変わらないにしても、
100万人近い人を救えたはずだ。)

日本においては
「組織の自転」
という原理が働き、日本軍では組織の構成員は、組織の存続は当然の前提として、
その中で自分の地位保全に汲々とする。

それによって、
「やめる」
という選択ができないのだ、という。

現在の経済政策や年金制度についても
最も基本的な論点は

「現在の制度をやめる」
ということだと、野口先生は主張されている。

これは、「降伏」と同じくらい難しいが、不可能ではない、という。

しかし、この発想は、たとえば社会保険庁が消滅する、という結果を生むため
絶対に官僚組織からは出ない、ということは自明である。

こうした重大決定を行うために、政治はある。
ただし、先の戦争指導者の個人的な立場から見れば、降伏した場合に自分の命は保証されない。

現在でも、この
「やめる」選択
をすれば、その政治家の、少なくとも政治生命は保証されないかもしれない。

しかしながら、政治を行うものの命が恒常的に危険にさらされていることは、
政治家にとっては覚悟の上のはずである。

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