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zoom RSS 民の声

<<   作成日時 : 2008/08/03 12:48   >>

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「民の声」は「神の声」(ラテン語でVox populi vox Dei) いうことわざを聞いたことがある。

織田信長という人は、徹底した無神論者であったと言われる。

彼は、まだその勢力が磐石ではなかった時期に一気に
足利将軍義昭を奉じて京に旗を立てた。

将軍の権威を示すために短期間で壮麗な室町御所を建てる必要があった。

その建設のための石垣の石は、普通ならしかるべき山々などから切り出すのだが、
「手ぬるい」
と信長はみた。

「石などは、その辺の寺を駆けまわって石仏をもってこい。
 割って、石垣に積みあげよ。」
と命じた。
彼にとって、石仏は単に石でしかなく、仏とは認めていなかった。
かれは死後の世界などについても「霊魂などない」と断定し、神仏の存在など否定していた。

後の比叡山焼き討ちの例を挙げるまでもなく、思想的にも革命者であった。

一方、京を制圧した彼は、自分の軍に対して
一銭切り
という刑罰を布告した。

市中で市民よりたとえ一銭を盗んでも斬る
という類のない刑罰である。

自分の軍隊に対し、峻烈な規律を課したのは織田信長からだと言われる。
(武家政治の始まりである源平のころの軍隊風紀はひどいものであったらしい。)

彼は、京の世論を気にしたのである。
世論を味方につけなければ天下は取れない。

民の声には従う、という配慮は忘れなかった。

信長が目指したのは徹底した合理性にあったが、
最終的には、普通の人にはついて行けぬものであった。

敵対するものを全て討伐していく彼のやり方では、
明智光秀が討たなくても、いつか他の誰かに討たれたであろうと考えられている。

後を継いだ豊臣秀吉が急速に天下統一を果たせたのは、降伏する者は領地を安堵し
命を奪わない、という政策に敵の大名達が安心しこぞって傘下に入ったからであった。

ところで、現代になって比叡山近くにハイウエイが建設されたとき、
多くの石仏や墓石が出てきたらしい。
比叡山は、その気候が人にとっては過酷で
「全山これ墓」
というくらいに多くの人が眠っている、と司馬先生のエッセイで読んだことがある。

当時は、まだ規制が厳しくなかったせいか、それらの石仏などは
数寄者
の間で売買されたり、捨てられたりしたらしい。

「まことに猛々しいかぎりで、中世のひとびとがあれほど恐れた
  鬼
というのは、こういう人たちや人たちの所業を言うのであろう。」
と述べている。

民の声が神の声であっても、畏れがなければ気づかないままである。

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