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zoom RSS 運命の一弾

<<   作成日時 : 2008/08/13 05:45   >>

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日露戦争は、日本の国力ぎりぎりで戦った戦争であり
紙一重の差でようやく勝った。
(というより、ほとんど破綻寸前で有利な講和条件で終結できた)

当時の日本の人々が、知恵の限りを尽くした結果だった。

この戦争では、いくつもの陸戦も海戦もあったのだが、

日本海海戦
は、日本海軍の完勝であったといってよい。

このときの日本の連合艦隊の作戦を立案担当したのは、作戦参謀

秋山 真之
であったのは有名である。

対馬海峡にむかうバルチック艦隊が発見され
連合艦隊が出撃するにあたり、大本営へ打つための電報草稿文案が

「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす」

であったのに、秋山は

「本日天気晴朗なれども浪高し。」

という有名な一文を付け加えたと言われる。

この一文は、東京の岡田という気象官が、
大本営を経て毎朝とどけてくる天気予報の文章だった。
(原文は「天気晴朗なるも浪高かるべし」)

秋山は、日露戦争のあと
「あの戦争は、とにかく天佑のおかげで勝った。」
といい、海軍内部では穏当な官僚とはなりえなかった。

日露の戦力の差は、歴然であった。

日本の連合艦隊は、1セットしかなかった。
ロシアには2セットあったといわれる。

バルチック艦隊は、2セット目であるが、
もうひとつは、旅順艦隊であった。

日本海軍は、これらを一隻残らず沈める必要があった。
(一隻でも残れば、大陸への輸送ができなくなるからである。)

運命の一弾
といわれた旗艦三笠の十二インチ主砲からの砲弾が
旅順艦隊の旗艦の司令塔吹き飛ばしと操舵手を斃したのは

勝てるはずがなかった黄海海戦のときであった。

これにより、旅順艦隊は混乱し、日本海軍はかろうじて勝った。

ロシア艦隊は、再び旅順に戻ったため、陸軍による
旅順要塞攻撃
が始まるのである。

陸戦においても、日本陸軍は総兵力を横一線に並べ
大軍に見せ掛けることで、ロシアの陸軍を後方へ退けていった。
横一線の布陣の後ろに予備兵力はなかった。

日露戦争は、当時の人たちが国力ぎりぎりを見切ることで
かろうじて終結した。

もし、見誤っていたら、今の日本は東欧の国々のようになっていただろう。

また、今年も終戦の日がくる。

昭和になって皆がおかしくなってしまったのは

「日露戦争は完勝だった、日本軍は世界最強である」
という間違った認識を持ったためだと、司馬先生は言われる。

歴史の事実は常に検証と反省の材料とし、今後の役立てなければならない。





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