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zoom RSS 何かを畏れる心

<<   作成日時 : 2009/02/07 11:24   >>

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アメリカ合衆国の新大統領となった
オバマ大統領が行ってきた演説を聴いていると

米国の政治には、キリスト教のモラルが規範として
反映されていることが良く分かる。

演説の締めくくりには
God bless you. God bless the United States of America.

という言葉が使われる。

現代の世界最強の権力者も

というものに怖れを抱き、それが規範となっている。


江戸時代の剣の達人といわれ、おそらく当時敵なしといわれた
千葉周作が中西派一刀流から離脱し、北辰一刀流を樹てるとき

かつての師匠より

「天のみを怖れよ。
 地に怖るべきはないと思え。」

と繰り返し言われる様子が
小説「北斗の人」

に描かれている。

天のみを怖れよ。

人間には、何かを畏れる気持ちが備わっているべきである。

アメリカやヨーロッパでは、キリスト教によるモラルが生きている。

日本は、いつの頃からか明確な宗教倫理を忘れてしまったようである。
(これが、明治維新によるものであるとは、私は思わない。
 もっと以前から日本人はそうであったように思える。)

何かを畏れる心を失った時
人は想像もつかない残酷な所業をする。

現代の不可解な残虐事件を持ち出すまでもなく
歴史上にも、その例が多くある。

たとえば、殺生関白といわれた豊臣秀次、菊池寛により描かれた松平忠直
晩年の豊臣秀吉

古代より人は、自らに戒律やタブーを課し、その行動を規制してきた。

たとえば、南国の海において、現代の感覚では魚は採り放題であるのだが
かつて、古代の人は自ら魚を採ってはいけない日やその種類を制限する日などを
設け、行動の規制が実に多かったという。

日本人は合理性を追求する性向があり、不便なものを捨て続けてきた。

その過程で、この大事な倫理感覚も捨ててしまったのかもしれない。

国家も、総理大臣も、家長も恐ろしくなくなってしまった現代日本に
どうすれば「何かを畏れる心」を取り戻せるのか。

深刻な課題なのかもしれない。





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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
 江戸期の和学は、あなたとは正反対の意見ですね。支那から入ってきた儒教や道教の教えは立派だが、支那人の歴史は、それとは正反対の事件のつみ重ねだ。王朝の盛衰は、その数だけの反逆の証明でしょう。かれらは不道徳だから、道徳を必要としている。
 日本の無宗教や無道徳は、それを必要としない、あるいは自覚しないからだといっている。
罵愚
2009/02/07 16:13

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