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zoom RSS 軽舸、白燈を点じて、世界へ去る

<<   作成日時 : 2009/03/07 19:52   >>

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幕末期において、長州藩は過激な尊王攘夷主義であった。

だが、面白いことにこの藩は攘夷戦争の前
つまり、まだヨーロッパの軍事力を知る前に
5人の藩士を英国に密航させている。

この藩士の中には、後の
井上馨と伊藤博文
が含まれている。

彼らがロンドンに着いた早々に

「チョウシュウが外国艦船を砲撃した」

というタイムズの記事に遭遇した。

急遽帰国したのは
この二人のみで、他の留学生は

藩命にもとる
という理由でロンドンに残留した。

攘夷は正義ではなく、単に無知であるにすぎない
ということを、この井上・伊藤という、かつてのもっとも
過激な攘夷青年は気づいた。

ただ、かれらが単に私的開明家になったというだけでなく
藩を開明藩にしようとふるいたったところが、他の青年達とちがっていた。

この二人は後に政治家となり、残留した他の三人は明治政府の官僚になった。

官僚と政治家のちがいはこのあたりにあるのだろう。

と小説「花神」の中で司馬先生は述べられている。

ともあれ、彼らの密航にあたり、日本において手はずを整えたのは
「花神」の主人公である村田蔵六であった。

彼らは、元結をざっくりと切り、サンバラ髪となり、西洋人のような断髪頭となった。

後世のひとびとには信じられないことかもしれないが

「赤穂浪士の仇討ちに参加するような気持ち」
だったという。

全日本人の犠牲になって、夷狄の世界へ斬りこんでいくような気持ちだったという。

彼らは、洋服を着て、西洋人に偽装した。

この異風の姿を他の日本人に見つかると大問題となるため
物事はすべて深夜に行われた。

5人とも帽子をかぶっていた。
「胡冠、胡服を着し候」
井上聞多が国許の重役に報告している。

この秘密留学生の出国は、わびしく
かつての遣唐使のきらびやかさと思いあわせ

「まるで野盗の門出のようだ」
と伊藤俊輔は、自嘲した。

「夜盗のようだ」
と伊藤がいったときに、蔵六はすぐさま言った。

「野武士のようだ、と言いなおしたほうがよい。
 戦うには」

と蔵六は、のちにその関係者の間で語りつがれた言葉を言った。

「戦うには、まず敵を知らねばならぬ。」

この後、半刻ほどして、彼等をのせたボートは、
沖へ向かって去った。

「軽舸、白燈ヲ点ジテ、世界ヘ去ル」

村田蔵六が手帳に書き入れた言葉である。

軽舸とはボートのことである。
ボートにはカンテラが一つ、闇の海面を照らしていた。
それが去ってゆくのをみて、彼の感情に大きな衝撃がおこった。

この感動の痕跡としてメモにしたのである。


-世界ヘ去ル

当時の日本人の意識の中では、

世界の中に日本があるのではなく、
日本と世界とはべつべつに相対していた。

この時代の人々の勇気には本当に感服に値するものある。




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