志の歴史

アクセスカウンタ

zoom RSS 商機と才覚

<<   作成日時 : 2009/11/08 09:15   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

現在、未曾有の不況といわれる中
それでも、才覚によって新たな事業を興す若者が
いなくなったとは聞かない。

そんな才覚で後世に名を残した人に
川村瑞賢

という人がいる。

これは、司馬先生が昭和37年に発表した文章である。

関が原と大阪の役によって豊臣家の勢力が消えると
徳川政権の所在地である江戸は、
都市として爆発的な繁栄をはじめることとなった。

「江戸へゆこう」
というのが、覇気のある諸国の庶民の合言葉のようになった。

三代将軍家光のころ、伊勢国度会郡鵜倉村から江戸を
志した一人の少年があった。

幼名を七兵衛といい、成人してから十右衛門とあらためた。

しかし、いかに新興都市のころの江戸とはいえ、
徒手空拳で伊勢からはい出てきた少年にうまい話はない。

少年はたちまち、乞食同然の境涯におちた。

江戸の普請場にやとわれて石や土の運搬などもした。

しかし、ついに絶望した。

「これ以上、江戸にいてもうだつがあがるまい。」
家財道具を売って路銀をつくり、江戸を出た。

泊まりをかさねて、小田原の旅籠に一泊したとき
相宿だった老人に身の上話を聞いてもらったあげく

「江戸へ帰りなされ」
といわれた。

「江戸はこれからますます繁昌してゆく。
 まるで宝の山のようなものじゃ。
 才覚のあるものだけがその宝をつかむことができる。」
さらに
「宝がみえぬのは、その宝をみようとせぬからじゃ。
 見ようとるるものだけに見える。」

(なるほど)

十右衛門は、江戸にもどるために小田原をたった。

品川の宿をすぎること、
浜辺にただよっているおびただしい瓜やナスを見た。

江戸の町民が捨てたものが品川の浜に流れ着いているのである。

江戸町民の消費力の大きさにおどろき、
これこそ老人のいった宝かもしれぬ、と思った。

さっそく、江戸に帰ってから、川や浜辺で町民の捨てた
残菜をひろいあつめ、漬物に仕込んで行商をした。

主として土木工事場の土工や人足を相手に売った。

買って食う者こそいい面の皮であったが、
十右衛門にとっては材料はただである。

金が面白ほどもうかった。

その後の経歴は、よく知られている。
工事現場に出入りするうちに、普請の役人から
推されて人夫頭として、数年働き、そのあいだに土木や建築を学んだ。

やがて、独立して土木請負と材木商をはじめた。

明暦三年、有名な振袖火事がおこり、江戸は灰塵に帰した。

十右衛門はいまだとおもった。

このときの英雄的な商機のつかまえかたは、
紀伊国屋文左衛門に似ている。

木曾の材木を、いち早く買い占めたのである。

こうして、材木の販売だけでなく、大名屋敷、富商の家の建築を
うけおい、江戸一の大富豪になった。

時の老中稲葉正則に気に入られ、めぼしい官設の建築、土木は
ほとんど請け負うようになった。

ついに苗字帯刀をゆるされ

姓を川村と名乗った。
剃髪して、号を瑞賢という。

その後、八十二歳で死ぬまでの川村瑞賢の仕事は、
社会科の教科書にも載っているし、あまねく知られている。

しかし、この日本史上最大の土木家は、
品川の浜辺で瓜やナスを拾うところから身をおこしたというはなしは
あまり知られていないようである。

没年は元禄十二年六月十六日である。
墓は鎌倉建長寺にある。

いつの時代でも、才覚と志がその人の業績を作っていくものである。







テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
エアマックス 2013
商機と才覚 志の歴史/ウェブリブログ ...続きを見る
エアマックス 2013
2013/07/10 06:31

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
商機と才覚 志の歴史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる