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<<   作成日時 : 2011/09/26 19:34   >>

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(ハワイのサンドバーです。天国の海と呼ばれてました・・)


今日は、体調不良のため一日家に居て
徒然なるままにテレビで国会中継を
見ていた。

野党である自民党からの質問の中で

新たに首相になった野田総理が
官僚の能力を引き出すために
事務次官会議や法制局長官の国会答弁を許した

ということを
霞ヶ関の復権であると
しきりに非難されていた。

政治主導
の一風景として、司馬先生が書かれた「坂の上の雲」の中で
描かれている日清・日露戦争前夜の
政治家である西郷従道と官僚の山本権兵衛
の話を紹介したい。

日清戦争の後、日本の国家予算は
狂気ともいうべき財政感覚で組まれた。

日清戦争の戦時下である明治二十八年の総歳出は
九千百六十余万円

翌二十九年は平和の中にあったにもかかわらず
その歳出は
二億円余り
である。

軍事費が占めるわりあいは
戦時下の二十八年が三十二パーセントに比し、
翌年は、四十八パーセント、翌年は五十五パーセントへ飛躍している。

すべて対ロシア戦のためであった。

特に対露戦で問題であったのは
海軍の建設であるといわれた。

この日本海軍の設計者が、
この建艦計画当時やっと海軍少将になったばかりの

山本権兵衛
である。

権兵衛は、二度、海軍を設計している。
日清戦争と日露戦争の二つの戦争の準備のためのもので
それぞれ準備に十年という時間を要している。

日清戦争のだいぶ前
権兵衛が大佐の海軍主事として海軍をきりまわしていたころ
西郷が陸軍からやってきて海軍大臣に就任した。

その就任そうそうのころ
権兵衛が
「やっかいだが、また大臣教育をせねばならぬ」
とおもい、海軍軍政の現状と将来の展望についてまとめ
大臣用の教科書として提出した。

しばらく経って
「閣下、先日の書類、よんで下さいましたか」
と問うと、西郷はいつもの癖で口もとに微笑をうかべながら
「イイエ」
と品よく目を細める。

幾日か経った。
権兵衛はもう一度問うた。
「イイエ」

読んでいないのである。

権兵衛は、腹が立った。
腹が立つと、正直に目つきがけわしくなる男であった。

西郷は、そういう権兵衛を
おもしろそうにながめていたが
やがてテーブルごしに身を乗り出してきて

「山本サン」
と小さな声でいった。

「私が海軍のことがわかるようになると、
 ミナサン、おこまりになるのではないかな。

 私は海軍のことがわからない。
 ミナサンはわかる。

 ミナサンがよいときめたことを、
 私が内閣で通してくる。

 それでよいではありませんか。」

 第三次伊藤博文内閣のころのことである。

 閣議があって、そこに海軍省から
 ぼう大な予算の
 「海軍拡張計画案」
 というのが提出されている。

 二億円という、とほうもない金額である。

 伊藤も渋面をつくっていたが、
 当の大蔵大臣の井上馨はにがりきってしまい
 「西郷さん、どうもあんた、まじめにやってもらわねばこまる」
 といった。

 西郷は、どんな意味だえ、ときくと、
 井上は声をあげて、
 「こんなばかな予算請求があるか、二億円とはなにごとです」
 といった。

 西郷も負けずに大声をあげて
 「井上サン。ああたも伊藤サンも、ご同様に海軍のことは
  おわかりにならん。
  そういう仁に海軍のことを話してもムダというものです」
 といった。
 
 伊藤も井上も大いにむくれ、
 「われわれがわからぬから、
  海軍大臣たるあなたはそれを説明する必要があるのではないか」
 と迫ると

 西郷は、アッハハハと笑い

 「じつはわしもわからん」
 といった。

 みなあっけにとられていると、
 西郷は、海軍には少将ながら山本権兵衛ちゅうのがおる、
 この男をあとで参上させて説明させます、といった。

 権兵衛が、これらの閣僚に存在を知られるのはこのときからである。

 薩摩的総帥というのは、同じ方法を用いる。
 まず、自分の実務のいっさいをまかせるすぐれた実務家をさがす。
 それについては、できるだけ自分の感情と利害をおさえて選択する。

 あとはその実務家のやりやすいようにひろい場をつくってやり
 なにもかもまかせきってしまう。

 ただ場をつくる政略だけを担当し
 もし実務家が失敗すればさっさと腹を切る、という覚悟をきめこむ。
 (なお、ここで「腹を切る」というのは、「辞職する」という意味ではない。
  文字通りの覚悟を指す。これが当時の責任の取り方であった。)

 この西郷と山本のやり方が
 政治主導の一典型であると言えば
 現在の感覚では、異論が出るかもしれない。

 しかしながら、このやり方で明治国家の最大の
 国難時において海軍が、奇跡とも言える結果で、うまくいったのも
 事実である。

 西郷は、物事の本質を見抜くのが上手だった。
 そのかなめだけをにぎって、あとは春の野の
 そよ風に吹かれているような顔をしていた。
 西郷は、こまかい行政技術には一見愚なるがごとしといわれたが
 利口でなくても聡明な人物であったことは、伊藤博文がたれよりも 
 みとめていた。
 
 一方、伊藤博文は行政術には長けていたようであるが
 「伊藤サンは物識りでえらい人である。
  しかし非常のことがあると、頭がくるいがちだった」
 と西郷は、よく評していたという。

 

 なお、付けたしとして
 日清戦争の前、権兵衛がやった最大のしごとは
 海軍省の老朽、無能幹部の大量首切りだったことを述べておきたい。

 整理対象は、すべて旧薩摩藩出身の高級仕官たち
 つまり、権兵衛にとっては上官もしくは先輩たちであった。

 これから始まる日清戦争、日露戦争に勝つためである。

 このときの海軍大臣は西郷従道であった。


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レイバン メガネ
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