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zoom RSS 自衛隊と国防軍

<<   作成日時 : 2013/03/24 22:25   >>

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(今年の元旦に滞在したホテルからの初日の出です)


今、憲法改正を含めて

自衛隊を国防軍とする議論が活発になっている。

明治の初めごろは、日本の陸軍部隊の最大単位は
「鎮台」

といった。

たとえば明治十年の西南戦争では
熊本の鎮台兵が、西郷の私学校兵をふせぎ、力戦した。

明治四年には鎮台は四つあった。
同六年鎮台は六つになり、いわゆる六鎮台制をとった。

第一は東京、第二は仙台、つづいて
名古屋、大阪、広島、熊本
である。

鎮台といういかにも防御的なにおいの呼び名と言い、
さらに全国の主な城はことごとく陸軍省の所轄となり、
鎮台がそれぞれの城内におかれたことなどを見ても

鎮台時代の日本陸軍は外征を目的としたものではない。

国内治安のためのものであり、
万一のばあい外国が攻めてきたときのための
防衛用の軍隊だった。

また、鎮台という制度は外国からの輸入制度ではなく
明治初年の日本人の独創によるものでもあった。

この鎮台制を変えたのは
明治十八年三月に来日したプロシャ陸軍参謀将校の
メッケル少佐である。

のちに日露戦争に勝利した日本軍の
高級参謀将校のほとんどがメッケルの門下生であった。

メッケルに諮問した結果として

明治初年以来の鎮台が

「師団」
という呼称にあらためられた。

師団という単位思想は鎮台よりもはるかに
機動的で運動能力をもっている。

いわばいつなんどきでも
「師団」

を輸送船にのせて外征するという活動的な姿勢を帯びる。

日本陸軍の、その軍隊目的が
国内の鎮めから外征用に一変したのはこのときであった。

当時の日本をとりまく国際情勢は
そういう転換を強制していた。

現在の日本においても
「自衛隊」から「国防軍」へ

その名称を変えるのであれば、
その意味と今後たどっていく将来について

日露戦争以降、日本が辿った道筋を充分見据えておく必要がある。


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