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zoom RSS 黒田官兵衛のこと

<<   作成日時 : 2014/01/18 12:03   >>

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(昨年行った 山陰 松江城です。)


今年のNHK大河ドラマは

「黒田官兵衛」が主人公である。

黒田官兵衛については、
「二流の人」

の記事の中に書いた。

司馬先生の著作では
播磨灘物語
で、黒田官兵衛の生涯が描かれているが

特に印象に残ったことを書いてみたい。

荒木村重の反乱の際に伊丹有岡城に
幽閉され、その後解放されたのちの話である。

(荒木村重のその後の行動と行く末も常識では
 考えられないものになっていくのだが、それには触れない。)

有名な播州一の城塞といわれた三木城を
包囲戦で陥落させ、三木を平定した後

官兵衛は、その居城である姫路城を
羽柴秀吉に献上してしまった。

このため新たに山崎という場所に
城をつくることとした。
なお、三木を平定してから秀吉から
与えられた知行は一万石である。

山崎には古い城塞しかなかったが
それを補修して居城とすることとした。

山崎界隈には何百人という大工左官が入って、
たいそう賑わった。

官兵衛は材木は一定の場所に置かせ
家来の某に命じて材木を管理する奉行とした。

ところが、このこ材木がよく盗まれた。

奉行がしらべてみると、遠くから入りこんでいる
大工三人の仕業とわかった。
奉行はこの三人を捕え、材木置場の前にひきすえ
官兵衛に告げた。

官兵衛は、材木置場の上にのぼり、三人の盗賊を
見下ろして

「その罪、打首にあたる。」
と、顔を真っ赤にして怒った。

衆人はそれを見ていたが、
官兵衛の処置は当然とした。

この時代、盗賊に対する罪はたいてい斬首であり、
とくに織田家においてはこれがきびしい。

奉行は刑の執行まで、この三人の盗賊を檻に
入れておいた。

が、官兵衛は一向に刑の執行を命じない。

奉行はたまりかねて官兵衛のもとにゆき
もう斬ってもよろしいでしょうか、と問うた。

このとき、平素大声を出さない官兵衛が
腹を立てたふりをして「馬鹿(こけ)め」とどなり

「人間の命の尊いのを知らぬか」

といった。

この矛盾した官兵衛の言動は
黒田家にながく言い伝えられた逸話となり、

さらに黒田家の政治哲学になった。

官兵衛は盗人に言いわたしたのは罪の量刑だけであり
執行するとはいっていない。

また奉行に対して怒ったのは、
奉行たる者は
赦してやってほしい、と頼みにくるのが本筋であるべきなのに

逆に刑の執行をせめるとは、何事か、
ということであった。

戦国期の高名な大名は一般に人を殺すことは
すくなかったが、積極的に人名は尊いと
思想としていったのは官兵衛ぐらいだったかと

思われる。




















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