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zoom RSS 竹中半兵衛のこと

<<   作成日時 : 2014/04/20 11:41   >>

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最近、孫子の兵法が流行りのようで
書店に行くとビジネス本のカテゴリーに平積みで
置いてあったりする。

歴史上の武将たちすべてが
「孫子の兵法」
を読んでいたとは思えないが

風林火山の旗を用いた武田信玄など
何人かは、読んでいた形跡がある。

日本の戦国時代に織田信長の後

日本を統一した豊臣秀吉がまだ
藤吉郎といっていたころからの軍師に

竹中半兵衛重治

がいる。

彼が美濃斎藤家に仕えていたころ
侵攻してくる織田軍を「十面埋伏の陣」という
戦術にかけたことは別な記事で書いた。

竹中半兵衛は、実戦により戦略や戦術を
覚えたのではなく、孫子の兵法書を含む書物からそれらの知識を
得たといわれている。

甲冑の重さをきらい、陣中にあって平装し、石餅の定紋をつけた
浅黄の木綿胴服をながながと羽織り、

-ユラリユラリと見えし。

というのが、諸人のこの軍師に対する印象であったという。

織田軍による浅井・朝倉攻めの時期
秀吉と半兵衛は浅井のこもる小谷城と北近江の横山城で
対峙していた。

ある日、敵の小谷城から敵勢七千人ほどが城門を
打って出てくるが見えた。

敵陣の旗から、敵将浅井長政の父下野守久政の
旗であることがわかった。

秀吉は(おとりだ)と思ったが、敢えて半兵衛に
「追おう」
といってみた。

半兵衛は敵の動きをみつめ、こう言った。

「あの軍容の兵気を観ずるに
合戦ヲ思イトドメテイルイキオイが見えます。」

兵気マサニ合戦ヲ思イトドメテイル勢イ、
とは文学的な表現であり、敵も味方もまるで
舞台の上にのぼったような物語性を帯びるようであった。

「おそらく敵は引きかえして来ましょう。」
と半兵衛は予測した。

敵は七千、味方は三千である。

正面きって野戦をすれば、当方が負ける。

半兵衛らは「上ノ段」という山麓の坂の上に展開し
敵を見おろした。

果然、敵はひきかえして挑みかかった。

半兵衛の隊は、騎馬兵を突出させ、さらにひかせ
弓、鉄砲で撃ちすくめ、時間を稼いだ。

やがて、日没になる。
日没になれば敵は引き揚げざるをえない。

それを撃つ。

半兵衛の表現では
「敵の惰気を打つ」

とうものであった。

「敵の鋭キヲ避ク」
というのは兵法の原則である。

「もともと敵というものは来るときは鋭く
帰路につくときに惰気を生じます。」
と、半兵衛は秀吉に対して自分の戦術をそう説明した。

半兵衛が帰陣したとき賞賛する秀吉に対して
「ほんの小手先しごとでござる。」
と低い声で言ったという。

目撃者の印象では

思度計無気ニ。(シドケナゲニ)
とある。

ちょっとだるそうな、小うるさげな、声の張りを惜しむような

つまり
シドケナゲな、
そんな調子が竹中半兵衛重治の言語動作の癖であった。

豊臣秀吉という人は
竹中半兵衛と黒田官兵衛という

何万人に一人か、という軍師を
二人も所有できた、という点からみても

やはり、異常な運を持っていたと思われる。



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